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映画「レ・ミゼラブル」を観にいきました。(2/2)

さて、ようやくまとまりましたので続きを書きます。

 

先に申し上げておきますと今回のレビューは、私が愛してやまない映画評論ブログ「映画のブログ」(http://movieandtv.blog85.fc2.com/)さんの影響をもろにうけています。あしからず、ご了承ください。私のレビューよりもはるかに掘り下げた素晴らしい評論が読めますので、ぜひ「映画のブログ」もお読みくださいね。

 

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前回は、ジャン・バルジャンの「道義的な正しさ」と、ジャヴェールの「法律的な正しさ」との闘いがこのストーリーのテーマではないかと述べたところで終えたのですが、それぞれについて考えてみたいと思います。

 

「道義的な正しさ」とは、いわゆる「善」と言って差し支えないと思います。そもそもジャヴェール自身が劇中に「法か善か」と表現していましたし。ジャン・バルジャンは、子供にパンを与えんがために盗みを働いた。たったパンひとつ。その代償は計19年間の投獄であった。無論法律的にはアウトであるため仕方ないのかもしれません。

だが彼はその後、司教とのやりとりのなかで「本質的な正しさ」に目覚める。彼は工場の経営者となり、人を雇い生活できるよう支え、貧困者に施しをおこなったりと積極的に善であろうとする。極めつけが、コゼットを生涯守り続け、愛を注ぐことに人生を捧げたことでした。バルジャン自身に責の無いことで工場を解雇されたコゼットの母、フォンティーヌからコゼットの後事を託されただけにも関わらず、彼は全身全霊でコゼットを人生をかけて守った。司教と出会ったあとのバルジャンは、完璧なまでに「善の体現者」である。

 

一方、「法律的な正しさ」とは名のとおり、法律さえ守れば行為や結果の良し悪しは関係のない、成文化された法に則ってさえいればいいという正しさである。そして、そんな法の番人を体現しているのがジャヴェールであろう。ジャヴェールがバルジャンを追うのは、バルジャンがパンを盗み、脱走を働いた「犯罪者」だから。バルジャンが、何を考えパンを盗んだのか、どうして脱走したのか、そんなことはジャヴェールにとってどうでもいいのだ。ただ、法を破った犯罪者を捕まえるのが彼の使命なのである。

 「バルジャンが正義でジャヴェールが悪」といった構図に見えるかもしれませんが、ことはそれほど単純ではないでしょう。その程度であればこんなに長く読み継がれてくるはずがありません。曲解すれば、法を破ることが正義だ!となりかねません。

 

古典的名作であるレ・ミゼラブルがなぜ今も世界中で受け入れられ、映画やミュージカルなどさまざまな形で表現されているのか。それは、今も変わらぬ「正しさとはなにか」といった命題を問うているからではないでしょうか。

レ・ミゼラブル中では、ジャヴェールが最終的にバルジャンを逃してしまうことで、決して揺らぐことのなかった「法の番人」としての志に歪みが生じた。そのことから、彼は敗北を意味する「死」を選んだのだと解釈しました。

 

ストーリー上は「道義」が勝利しましたが、この本が書かれた時代から約200年経った今、現実での勝負はついているでしょうか?普遍的な問題である「正しさとはなにか」を問うこの作品は、今でも色褪せることなく輝いています。

コンプライアンス遵守という思考停止に陥っている現代社会に、あらためてこの命題を問いたい。

 

「正しさとはなにか」

 

レ・ミゼラブルを読み解くにあたり、郷原信郎著「『法令遵守』が日本を滅ぼす」が非常に役立ちました。面白いのでぜひ読んでみてください。

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

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