運営の『ヘンテナプロジェクト』については、こちらをご覧下さい。

http://hentenna-project.com/

http://hentenna.hatenablog.com/entry/2014/03/09/121004

震災から3年たった今思うことと、東北ボランティアの思い出。

あの震災から3年が経ちました。早いものですね…。

 

みなさんは震災が起こったとき、どこにいらっしゃいましたか?

私は当時、今とは違う会社に勤めていて、ちょうど休憩時間に地震が起こりました。

社内は大きく揺れ、デスクトップパソコンのモニタは倒れ、キャスター付きの椅子はどこまでも滑っていき、棚からあらゆるものがこぼれ落ち、しまいには固定していなかったロッカーや書棚が倒れるなどの被害がありましたが、幸いなことに大けがをした人はおらず、残ったメンバーで広域避難場所であった公園に避難して事なきを得ました。

 

その日は会社が休みになってみな帰宅していいことになりましたが、そのときすでに交通網はマヒし始めていて、バスも電車もタクシーもなく、当時私が住んでいた池袋に会社のある新橋から帰る手段は「徒歩」しか残されていませんでした。

 

結局一時的に会社の同僚宅に避難させていただき、京都にある実家に無事生きている旨の報告を済ませた後は、テレビで繰り返し放送される津波の映像に言葉を失っていました。

 


【東日本大震災】津波の瞬間 生放送 最も衝撃的,earthquake Tsunami Japan - YouTube
2011.3.11 まだTVでは放送されてない大津波動画 - YouTube

 

何度見ても衝撃的な映像。

 

当時テレビで放送されていたこの津波に、まったく現実感がなかったことをよく覚えています。津波で家や車、船が流されているのがCGのように見えて、事の重大さにイマイチ納得いっていなかったんでしょうね。今でこそ冷静に見ることができますが、当時の感想としてはまさに対岸の火事状態。確かに住んでいた東京の交通網はマヒし始めていたものの、基本的には震災に戦々恐々していただけで、「津波」による被害については実感を伴わなかったんだと振り返って思います。

 

私が勤めていた会社はその後も4、5日ほど休業が続き、幸いなことに断水や停電がなかった豊島区の住居ではそれほど不便なく過ごすことができました。納品が滞っている近くのコンビニやスーパーからはあっというまに商品が消え、インスタント食品等に頼ることは多かったですが、生きることに支障はなかったですね。

 

今思えば、私がいつもの「日常」に戻るのは早かったと思います。

住んでいた豊島区を含めた東京23区のうちいくつかは計画停電の対象外でしたし、水・電気・ガスを無駄に使わないように戒めてはいたものの、実質的にほとんど影響はなかったと言えるレベルでした。会社内の被害を修復し勤務を再開し始めてからは、もうほんとに日常と変わらない生活が続けることができました。

 

千葉に住んでいた会社の同僚の中には、液状化現象や断水、度々起こる停電でまともに生活できないと嘆いている人もいましたし、あまりこういうことは言いたくありませんが、震源地にそこそこ近かったにも関わらず被害の少なかったエリアに住んでいた私はラッキーだったんだと思います。

 


液状化現象の始まる瞬間.flv - YouTube

 

その当時私は勤めていた会社に不満タラタラで、今後の身の振り方を考えていた時期でもあり、申し訳ない話ですが、震災後のどうこうよりも今後の自分の仕事人生を考えることがメインに切り替わってしまいました。

 

「自分のこと」がひとまず落ち着いたのは、それから2年経った2013年のことでした。その前年2012年4月に転職していて、仕事にも慣れたころですね。

 

自分に余裕が生まれ、ようやくあの震災について考えられるようになって思ったことは、「被災地を見てみたい。」ということでした。その当時ですでに震災から2年経っています。もう遅すぎるか…と思うこともありました。今さら興味半分で行っても迷惑かもしれないし、何もできることはないかもしれない。そんな風に考えもしました。

 

しかし、「今」行っても行かなくても、被災地は少しずつ復興を遂げていく。もう2年経っていますが、“被災したときに一番近い状態”の被災地を生で見ることができるのは”今日”なのだと気づきました。

 

すぐにボランティアでバスツアーを行なってる団体について、ボランティアプラットフォームというウェブサイトで調べ始めました。

ボランティア募集|ボランティアプラットフォーム

f:id:you-7188:20140311140942p:plain

 

お恥ずかしいことに、こういったボランティア活動をする事自体が初めて。 

有象無象あるボランティア団体のどれを選べばいいのかすらよくわからない。ニュースでは怪しいボランティア団体の話もよく放映されていましたし、ちゃんと調べた方がいいなと思い、上記のプラットフォームで探した上で、こちらの団体を選びました。↓

 

LSA ~ 東日本大震災生活支援協会 |

f:id:you-7188:20140311141212p:plain

 

よく調べた甲斐があったのか運がよかったのか、このLSAは素晴らしくよくできたボランティア団体でした。ここでのボランティア活動が、私の人生を変えてくれました。もちろん、いい方向に。

 

ボランティア活動といっても、ガレキ撤去等の力仕事はあらかた終わっており、どちらかというと被災地で頑張っている住民の方の話し相手になったり、観光客を増やすための取り組みに従事するような内容が多かったように思います。 マイナスをゼロに戻すためのボランティアではなく、ゼロをプラスにしていくボランティアといった感じでしょうか。

 

震災直後の被災地に行っておくべきでした。してもしょうがないとは思いつつ、後悔しています。その当時で震災から2年経っていたにも関わらず、全く進んでいない復興の現状を見てなおさらそう思いましたね。

 

そのボランティアで撮った動画をyou tubeにアップしておりますので、よろしければご覧になってください。

 

2013年6月29日_"LSA 第129回ボランティアバス"_南三陸町防災対策庁舎の様子 - YouTube

 

 

2013年6月29日_"LSA 第129回ボランティアバス"_石巻市立大川小学校 - YouTube

 

 

この東日本大震災を忘れてはいけない。

風化させてはいけない。

 

ときおり自分で撮ったこの動画をみて、思い出すようにしています。

そうでないと、日常にあっさり意識を奪われてしまいますから。

 

それでは、黙祷。
 
 
▽震災関連オススメ記事

「これからの1年を、復興を実感できる1年に」ー東日本大震災から3年、安倍総理が会見

震災から3年。原発事故を忘却する前にやるべきことがある。 | 関根健次

【3.11】「電気が役に立っているといわれたい」福島第二原発と戦った作業員の誇りとは 漫画「ストーリー311」が伝える真実

【3.11】「被災地で働きたかった」福島第一原発で働く作業員 ルポ漫画「いちえふ」が伝える真実

100万人に届け!南相馬桜井市長の命がけの訴え。 | 関根健次

 

 

3years 復興の現場から、希望と愛をこめて

3years 復興の現場から、希望と愛をこめて

 
震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)

震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)

 

 

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

 
報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

 
証言 自衛隊員たちの東日本大震災

証言 自衛隊員たちの東日本大震災

 
記者は何を見たのか - 3.11東日本大震災 (中公文庫)

記者は何を見たのか - 3.11東日本大震災 (中公文庫)

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 にほんブログ村 ゲームブログへ にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ ブログランキング・にほんブログ村へ